旧幕府領や朝敵諸藩から没収された地域は、新政府の直轄地となった。新政府は越後の直轄地を管理するために、慶応四年四月一九日、新潟裁判所を置き、北陸道鎮撫副総督の四条隆平を、裁判所総督に任命した。五月二九日には新潟裁判所に替わって、越後府を置いた。七月末から八月にかけて、北越戦線は新政府軍有利の情勢が確定した。八月中には、三条、新潟、水原、村上などに、次々に民政局が設置され、九月三日には、三島、古志、蒲原、岩船などの、北部四郡を、越後府直轄地とさだめ、八日、四条隆平を越後府知事に任命した。ついで、越後府は新潟府と改称され、一〇月二八日、西園寺公望が新潟府知事に任命された。一一月五日には、柏崎県が廃止されて新潟府に合併、佐渡県も新潟府の直轄下になった。政府はあらためて明治二年二月八日、越後府を設置して、水原町に府庁を移し、壬生基修を知事とした。新潟府のほうは、直轄地を新潟港周辺に縮小し、同月二二日新潟県と改称して、楠田英世をその知事とした。同日、柏崎県を越後府に合併すること、佐渡県を越後府直轄とすることも、あわせて発令した。曲折を経て直轄地の統治機構は、こうして、新政府のもとに新潟港周辺をのぞく越後、佐渡のほぼ全域を統治する体制が確立した。