町が新政府に占領されると、同日ただちに新潟にも民政局がおかれた。味方村から下の七か村は、新潟の支配になることを命ぜられ、村役人が集会して種々相談したことが明治元年の村諸雑費の記録中にみえる。前記の三条民政局との経緯にもかかわらず、実際には、味方組村々は、新潟民政局の管轄下に入っていくのである。同じ頃、新潟民政局の役人が西川沿いや亀田郷村々を巡回し、村役人を新潟民政局へ呼び出している。それらの村々のうちには、水原民政局、三条民政局からも呼び出しや連絡を受けているところもあり、新潟民政局との間で当初その管轄地をめぐって、あいまいなところがあったのではないかと推測される。新潟民政局役人は、黒鳥村には八月一日にまわってきている。八月二二日から九月二日まで、黒鳥村の村役人は、新潟支配を命ぜられたことにともない、年貢免除や人別の書き上げなどの件で新潟へ出頭した。