新潟民政局の管轄地は旧幕府領、村上藩領、長岡藩領、会津藩領の村々であった。新潟民政局は新潟町と西川沿いの一部の村々をのぞいて、出雲崎、三条、水原の各民政局へ移管した。このとき黒埼地域の村々も、三条民政局管轄に変更となった。後述するように、明治元年の北場村年貢割り付けは、三条民政局から発行されている。なお、北場村受の明治元年の年貢割り付けは、出雲崎民政局から発行されており、ここだけは無民戸ではあるが、旧幕府領村々同様、出雲崎民政局の管轄であった。明治二年になって、村上藩は内藤信美を幕府後継者として、旧領の復帰が認められた。村々は村上藩へ引渡され、三条民政局は加茂に移転した。新政府は慶応四年、一万石以下の小領主の領地を、各国の近くの府県で管轄するようにという命令を出した。越後には越後府が置かれているので池之端知行所も他の旗本領とともに、越後府の管轄下におかれることになる。