半減実施

四条による年貢半減令は、発令の時点では四条の独断といえるが政府の兵火、水害の被害によって、民衆の苦しみははなはだしい。租税の減免による救済がのぞましい。救済のことは、府県へ専任させるという命令によって追認され、以後白河方面でも、年貢半減が実施されたという見解が示されている。その後には越後口総督から、兵火、水害にあった者には、年貢を全額免除するという布達がだされたが、これは各民政局から異論がでて、とりやめになった。年貢半減令は、その後、新潟府判事となった前原一誠の指示があって、府の管轄地では確実に実施されたことがあきらかになっている。いったん、民政局の支配下におかれた旧村上藩領の村々も、当然その対象となった。北場村の明治元年の年貢割り付けは、三条民政局から発行されている。それを見ると、新田畑高一七五石余と、見取田四町余は、この年の水害で全部免除、本田畑高一八二石余も、そのうち一七六石余が、この年の水害で免除されており、賦課対象六石余に年貢としてわりあてられたのは、わずかに二石余にすぎない。そして、この二石余の半分が減免され、けっきょく納入すべき本年貢は一石余であった。そのほかの小物成もすべて半減された。

半減実施