反 対

村替の風評は村々に伝わり、これに反対する動きがただちに各領内でおきた。村上藩管内三条陣屋付の三条町ほか一一二か村も、五か組の代表が集まり、相談した結果、板井村庄屋伝衛と柳山村庄屋泰蔵を代表として、東京の藩屋敷に送ったのをはじめ、村上城下、三条陣屋などに、嘆願を繰り返した。水害のさいの手当てや西川底樋の工事など、歴代藩主の恩義なるものを強調して、村替などが行なわれないように訴えたものである。これらの地域は、村上藩領の飛地であって、村替の対象となることが決定的だっただけに、その運動はかなり強硬で、東京へ上った代表は藩役人同道で、民部省へも嘆願した。七月に入ってから実際に村替えが命じられた。このため村上領では、追願者として、西萱場村庄屋喜三郎、三王淵村庄屋鑑十郎、溝古新村庄屋保平、三条町丁代恵兵衛などを、上京させた。村上藩では、大小の百姓があつく申し合わせた事がある、と哀訴する代表の説得に手を焼き、このことを民部省に報じている。

反 対