新発田藩も村替の命令を受けると、領内から中止の嘆願書を提出し、藩のそえ書きをつけて政府に推達するよう願い出た。藩でも大参事窪田平兵衛が率先して上京し、嘆願の実現に努力した。しかし政府では藩と領民がなれあっているのではないかという疑惑が強く、窪田は進達をとりやめた。代表の川北組庄屋今井令次らが、東京につき、藩士寺田与一郎に付き添われて民部省に嘆願した。民部省では、寺田に領民を説得しない藩の責任を追求し、結局藩は表に立つことができなくなり、代表のみで運動することに決した。いちはやく上京した村上藩代表は、最初は藩の添え書きをもって願い出たがとりあげられず、その後、民部省や岩倉に張訴や駕篭訴をしたが、これも取り上げられず、再度民部省へ張訴したところ、呼び出しをうけて説諭され、一藩の力では実現しがたいと、新発田、村松藩代表の上京待っていた。村上領の国元では、県へ嘆願しようと大勢が平島あたりまでおしよせ、三条から役人が飛んで来てとりしずめた。塩野町付近では村上へ強訴しょうというくわだてもあった。