事業延期

田沢与一郎ら有志の中から用弁掛が命じられ、寺泊町に治河会議所がもうけられた。山際郡司と鷲尾政直も用弁掛として活動した。ところが、越後府は突然事業延期を令達した。その理由は兵馬多端による入費窮迫のためであった。この令達は有志者はもちろん人民一般を失望慨嘆させた。翌九月一八日、壬生知事は分水事業中止について説明かたがた上京することになり、用弁掛らは、その送別を兼ね、越後府所在地の水原町に会合、協議の結果、田沢与一郎、大矢益多、高橋健三、鷲尾政直の四名は、知事を追って民部省へ出願することに決した。田沢と大矢は、九月二七日払暁早追いかごで三条町を出発し、高橋と鷲尾は、同日午後、草鞋旅装で上京の途についた。一〇月七日、四名は、民部省土木司の安永土木正に面会し、辞職した。ところが、土木権少佑青柳董平が信濃川の実況調査のため出張中であり、その帰京後の報告を待たねばならなかった。

事業延期