出張調査

青柳は、九月下旬越後へ出張、数十日間、信濃川の調査をし、一一月四日帰京。田沢、高橋、鷲尾の三名は、安永土木正、土肥大佑、青柳権少佑から信濃川出張調査上の利害問題について種々論難詰問を受け、意見をかわし、その後、数回質疑論究を重ねた。その要旨は次ぎの五点にまとめることができる。工事設計予算の件、経費支出の件、大河津塩の入二線得失の件、藩と県が一致しない件、新潟港利害の件など、このほか朝野の有力者を訪ねて、許可を促したが、志を達することができないまま、明治三年の元旦を東京自炊の客舎で迎えた。しかし、三月一月八日、参庁したところ大河津線が内定、大坂金策を決行するよう内意を示された。そして一月一四日、起工の許可が出た。ところが、起工の許可が出た事を知らない地元有志は、事業のますます遅れる事を杞憂し、味方村庄屋笹川孫之丞方に会合した。この集議によって、民部省へ直願することに決定し上京の途につこうとした際、分水許可の吉報が入った。一同は協議を続けて工事費として、およそ高一石金二分の割合をもって支出することをほぼ打ち合わせて退散した。

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