土木司は事業経費支出額を次のとおり提示し、藩県等の協議に付した。金百万両、分水掘割費、内、金四〇万両、朝廷御下金、金一五万両、越後全国へ国役金、金四五万両、藩県水害高三〇万石と見積もり一石に付一両二分ずつ、協議は対立が激しくなったが、二五日間を経て、四月一七日まとまった。この結果、管内八三一か村総代連名で四十五万両を出金しますので分水掘割を少しでも早く始めて下さい、との嘆願書が藩県御出役中様あてに差し出された。総代の中には、村上藩管内八五か村総代として、黒鳥村庄屋鷲尾忠吾、木場村庄屋山際郡司の名があった。以上が鷲尾自身が書いた分水沿革に基づく第一次工事実施までの経緯である。第一次工事運動において、木場の山際郡司、黒鳥の鷲尾政直が中心になり、積極的に活動していたことがうかがえる。とくに、鷲尾政直は、工事の財政面での功労が認められ明治三年一二月二〇日、村上藩主から、財政に尽力せし旨を以て紋付三つ組杯を下賜されている。