評 議

工事続行中の明治四年七月、廃藩置県が断行されたために、藩の財政から補助する内約が消滅してしまい、賦課金の徴収もうまくいかず、水害地人民の負担で支出せざるを得なくなった。滞納が多くなり、費用の不足から工事の進行は妨げられた。また、明治五年四月に発生した悌輔騒動のため工事は一時休廃になろうとした。大蔵省は、このような事態を危惧し大蔵大丞岡村健三郎を新潟県庁へ出張させ、人民に再三工事の必要性を説き、工事は継続して進められていった。騒動後の四月二四日、新潟県は関係地村々の総代を集め、工事の廃止、成業の見込み、負担金月割上納の難易について評議をつくせと命じ、総代の意見を徴していった。総代の意見は二つに分かれた。比較的高い土地にある村々は、工事の廃止に賛成した。信濃川東岸および白根郷、中之口川下流の水害常襲地は工事の継続を主張した。さらに、県令の下問に対し、水害地帯の村々は、負担金は遅れず上納するから工事を速やかに完成してほしいと県庁へ懇願した。この懇願書には水害地域諸村の二八人の総代名が記され、参加村は二一〇村に上っていた。

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